藤本タツキ氏「ルックバック」の感想
世の中の流行の流れで、ルックバックを読んでみました。 氏の作品はファイアパンチ(1巻まで)、チェンソーマン(本誌でおおむねリアルタイム、途中抜けてるかも)、読み切りを読みました。
タイトルについて
- ルックバックは、物理的に振り返って見ること以外に、過去を追憶するという意味があるようです。
- 過去に起きた出来事の振り返りが象徴的な作品になっていると思います。
- そして机に向かいマンガを描くシーンが何度も繰り返されます。
- ここで振り返っても救いはなく、私たちは未来に向かって進むしかないことを意味しているのかなと思いました。
作品のあらすじ
- いろんなところに書かれているので、細かいことは避けます。
- 子どもの頃の周りからチヤホヤされて楽しい!という状態から始まり、それを奪うライバルの登場、ライバルが仲間になる流れ、そしてライバルの退場、主人公が将来と向き合うという展開なのであるが、一見少年誌的な流れなのであるが、ただ普通と違うのは、出てくる奴らがみんな狂気に侵されているところだと思っている。(藤本タツキ氏の作品に出てくるキャラはみんな少し狂っている)。
- 氏の作品には、感情移入できないキャラしか出てこない。みんな自分の感情に忠実で、理性のタガがはずれたような行動をとる。
- 夢に忠実な訳ではないところが、普通ではない。感情に忠実なのである。
- これがワンピースなら、ルフィは海賊王になるという目標があり、
- そして仲間たちはそれを応援する上で自分の夢をかなえるために行動する訳であり、
- ゾロだったら世界一の剣豪になるために行動する訳ですよ。
- ルックバックの主人公藤野さんは、漫画家になりたいという夢ではなく、最初自分より絵がウマい同級生が気に入らないという子どもじみた理由を基準に行動していく。そこに、ディオのような魅力的な行動はない。そういう行動には、おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!となるはずだが、全くない。みんな感情的に行動していくのだから
- 我々の感情を素直に表現してくれる点で、氏の作品は人気があるんだと思う。
一見しての感想
- 主人公の2人、藤野さんと京本さん、ここから感じられるのは藤本弘氏と安孫子素雄氏コンビの藤子不二雄であるが
- 実際は合体させて、藤本で、作者である藤本タツキ氏の本人の投影なのかなぁと感じられた。
- マンガを書くために机に向かうシーンが象徴的に思いました。そして振り返らない。この辺がタイトル回収だろうか。
- 1つめの象徴的なシーンである、小学生時代、雨の中でライバルと思ってた京本から実は尊敬していたと告白され、雨の中でウッヒョーっと叫び狂うシーン、子どもの感情の爆発がとても印象的です。普通こんなん書かないよね。
- 大きな場面転換の、親友であり、ライバルでもある京本さんの退場シーン、マンガを描いていたら友人を死なせてしまった、小学生時代に指摘されたとおりやめておけばという点からのつながりなのかなぁ。
- 小学生時代の友人の彼女に悪意はないと思うのですが、好きなこと否定してくるの残酷だよね。
- そして、マンガを書かなかった場合のIFの回想シーンですが、IFでも結局絵が好きで絵で二人は繋がりました。
- 繋がるタイミングがずれただけで、IFの世界でもまた別離はあるんじゃないとちらっと思わせる展開でした。
- 結びとしては、結局役に立たないはずのマンガに対し、振り返らずに向き合うということでおしまいです。
- ハッピーエンドでもなく、バッドエンドでもなく、ただ前に進むしかないというモヤモヤを残して終わりました。
まとめ、藤本タツキ氏の作品の魅力
- 登場自分の感情の爆発の表現に尽きると思う。
- 登場人物は、みんな感情的に、ヒステリックになって動いていく。
- 感情を抑えている現代の人にとって、感情のタガがはずれた行動をとる登場人物に惹かれるではないだろうか。
- 冒頭にも書いたけど、そこに感情移入はできない、普通の人はそんな行動とれないから。
- チェンソーマンが子どものごっこ遊びの対象になるとは思えない。
- ファイアパンチは未読なので、読み直そうかな。これもいい感じで主人公がイカレています。
その他
犯人の扱い
- 犯人が統合失調症ではないかという点で、同じ病気の人からクレームがあるようだ。でも、個人的にはただの頭のおかしい人、気の触れたという印象だったので、考えすぎじゃない?
- 京都アニメーションの事件が引き合いに出されているが、学校に凶器を持って侵入という点から、個人的には池田小学校での無差別連続殺人のが思いついた。